蕎麦屋「功徳庵」(高田馬場)

思い出を語りたい。オレが蕎麦をうまいッとはじめのはじめに思ったのは「功徳庵」の野菜天せいろ(580円、当時)だった。大盛りといってもいい蕎麦と4種類の野菜天。そこに杏仁豆腐のトッピングがあって580円だ。一見ではなく、もう一回試してもいいと思うセッティングだ。そして、もう一回試すと、こりゃうまいと思える蕎麦だった。最初は安さで入り、次はうまさで入るお店だったのだ。
2年前だったか。価格が更新され、値段が高くなり、そして杏仁豆腐がなくなった。店主が変わらないため蕎麦のうまみも変わらないが、それでも、なんだか物足りなくなった。ちょっとだけ足が遠のき、一週間に2、3度通っていたのを1度くらいになった。
そして、1年前。想いは「功徳庵」にあれど、この身は日本にない。海外取材が多くなり、日本にいることが少なくなった。「功徳庵」に立ち寄る機会も減った。あの蕎麦は特別だ。海外に行く前に、清めの意味で通う。帰国してからもすぐに通う。それは二ヶ月に一度くらいの割合だ。週に2、3度通っていた頃とは、数が違う。
ある日。ほんとにある日。
「店主の急病のため……」
休店の張り紙が、軒先にあった。
 
……休店は休店だ。閉店ではない。
だから、事あるごとに様子を伺っていた。
そしてある日、シャッターが上がった。
 
もうなんともいえない想いだ。
「功徳庵」は出前専門のチェーン店の蕎麦屋に摩り替わっていたのだ。
味も素っ気も無い、デリバリー蕎麦屋
オレが楽しみにしていた厨房には、
若いバイト君が並び、
もっと若いバイト君がバイクを走らせる。

せめて。
せめて、蕎麦屋じゃなかったらよかったのだ。
やり切れないことは、たくさんあるけれども、
これほどやり切れないことは、そうはない。