好きな話題なので、参加(じゃないかも?)

まず。ライターの収入について一悶着起きているけど、安いと思うなら交渉すればいいのになあ。って思ったり。出す方もなんとなくで決めていたり、今までの慣習が続いていたりするだけだから、きっちり話し合えば、けっこう融通が利く場合が多い。すんなり原稿料が上がったり、原稿料は変わらないけど、取材費はちゃーんと出るとか。ときには取材費のほうが原稿料より高くなったりすることもある。そうすると、なにが起きるかというと、自由度がぐ〜〜〜んと広がるんです。発想の幅が変わる。あれもできる、これもできる、となる。1万円を自由に使える人と、100万円を自由に使える人では、スタート地点がまるっきり違う。要はどれだけお金の権限を持っている人に近づき、交渉ができるか、という点ですね。雑誌の場合、それは編集長、もしくはそれ以上となるでしょう。
編集プロダクションから依頼される仕事は、当然のことながらこうした交渉がしづらい。おおもとはどこぞの出版社や企業だったりするわけで、金脈の源ももちろん、そこ。編集プロダクションに与えられたお金の範囲はあらかじめ決められているし、それ以上の要求をこちらがしても、どだい無理な話。フリーランスのライターができることは少ないわけでして、金銭の交渉という楽しいことは編集プロダクションの方々がやってしまって、こっちはタッチができない。そこはもう諦めるしかない。
金銭を重視するなら、ひ孫請け→孫請け→下請け→(自分が)親元、となればいいんじゃないかと思います。親になれば、今度はお金をコントロールする立場になって、下からせっつかれる立場になるわけで、それはそれで苦労もあったりね(笑)。僕はなに事も経験と思って親になったことあるけど、そうすると金額を即答しかねて……。原稿は発注したいんだけど、いろいろ考えてお金が決まらない。でも、〆切は迫っているという。で、結局、曖昧なまま発注せざるを得ない状況に陥る。親になると大概トントンか赤字ですね。ひとり勝ちってのは、時にはあるとは思うけど、難しい。下請けと親の違いは博打か否かってところにあるのかも、と思ったこともあったりなかったり。誰かの博打の果てにお金をもらっているんだから、フリーライターの原稿料が安いのは当然ですよね。みんな、少ない掛け金で万馬券を狙っているわけですから。



しかし、アレだなあ。お金の話は好きだけど、これといってトラブルに巻き込まれたこともなく、また、仕事が途切れたこともなく、平々凡々と過ごしていますね、今まで。いつも仕事があるのは、ほんにありがたいことで、それに無自覚になってはいけませんな。そうそう、思えば入退院を繰り返し、一年間ほど棒に振ったこともあったけど、仕事にはそれほど影響なかったし。
実のところ、フリーライターほど楽な仕事はないと思っています。書けばいいんだもん。書くだけならいくらでもできますよ。設備投資も工員を雇う必要もないし、メールがあるから運送費も限りなく安い。そこまで揃っているんだから、400字1000円の仕事なら1時間以内で済ます方法を考えれば、それで利益があがるような気もするしなあ。そうやって考えるのが楽しい作業なわけだし、フリーとしての醍醐味なんじゃないかと。