そろそろ自転車解禁

いや別に禁じていたわけでもなんでもなくて、昨年の10月に毎日100キロ走ろうと思って3日続けたらアキレス腱を痛めてしまい、治った頃には仕事が忙しかったりとなかなか乗る機会がなかっただけで、なおかつ、ブレーキの故障を自分でなおしてみようと調子に乗って分解したらどうしようもない状況になったりして、だんだん遠ざかっていたのだ。そうこうしている内に体脂肪率が気になるお年頃でして……。そうだよなあ、10月はけっこう身体が鍛えられていたんだよなあ。100キロ走っていたんだもん。ありえないよなあ。あれから4ヶ月……。さて、1から始めるか……。


やんなきゃいけない仕事がたくさんあるってのに、なんだかもうぐったりしてきました。ぜんぜんやる気が起きない。一度簡単モードでクリアしたレインボウシックス3を今度は普通モードで始めてみたり、「週刊わたしのおにいちゃん」がアマゾンから届いて着せたり脱がしたり脱いでみたりしたり。そんなことをしている間にガンダムエースから電話が来て、編集者と「今日はぐったりですな」と言い合ったり。こんな日もあるってことで。


断章・おたく元年のスケベな男主人公たち
http://member.nifty.ne.jp/gos/1978/1978_19.htm
ササキバラ・ゴウのサイトより)

個人的にも幾度となくお話しさせていただいているササキバラさんのサイトから。といいますか、すみません、さっき初めて知って初めて読みました。

「美少女像の歴史」に興味を持つ人はたくさんいるようですが、「スケベ男像の歴史」の方に興味を持つ人は、大変少ないようです。

面白い! ああ、そうか、そうだよ、そのとおりですよ! ぐいぐいと引き込まれてしまいました。実生活でも思うんですけど、スケベ男が許容されない社会になりつつあるんですよ。いや、男同士で秘め事のようにごにょごにょ言っているのはありますよ。それが萌えだったりエロゲーだったり同人誌だったりと身近なところでそういうことなのかしら、とは思うんです。でも、ほら女性を前にしてスケベなことをぶちまける、むしろ聞いてほしいみたいな、そういうことが許されなくなっているような気がするんですよ。日々、会話術の鍛錬を怠らない僕としてはスケベ話がタブーとなることは手足をもぎ取られるような痛さを感じるのです。スケベ話=下品ではなく、上品に会話のちょっとしたスパイスとしてのスケベ話を盛り込むことは、人生を楽しむ上では欠かせません。もちろん女性とふたりでいるときは、がんがん言いますが、それを公にできないつらさがあるように思うんですね、最近。それこそ、まったく実在の女が関わっていない美少女ゲーム、アニメの世界で楽しむしかない。そこに生っぽさがないんだよ。
生っぽい、生々しい。それは痛々しさでもいい。スケベ男ってのは、そうした生身をもっている、視聴者と作り手とのパイプ役でもあったわけで、ときには痛々しさも含んでいるわけで……。ルパンがいい女である不二子を前にして、いつもパンツ一丁で放り出されるつい笑ってしまう痛々しさ。
あー、そうだよなあ。そういうことをしたいんですよねぇ。ルパンが好きな男たちは実生活でもパンツ一丁で放り出されたかったんですよ。そういう痛々しさに憧れる部分ってあったよなあ。スケベ男は格好良かったもの。うん。